#94 素直な少女じゃいられない


 太平洋艦隊の動きに、変化が生じた。
 これまでは、使徒から逃れるように、使徒の動きを牽制するようにと、動いていた。
 それが、OTRを前面に立て、待ち受けるかのような形を取る。
 実際に、太平洋艦隊は、使徒を待ち受けていた。
 かかってこいと、使徒を誘っていた。
 使徒の方は、素直にその誘いに応じた。一直線に、矢のようにOTRを目指してくる。
 OTR甲板の上の弐号機のエントリープラグで、アスカはぺろりと自分の唇を嘗めた。舌に感じるのは、慣れ親しんだLCLの血の味。
「……上等じゃないの」
 小さく、呟く。
 使徒の巨体が、どんどんとこちらにやってくる。
 大きい。本当に大きい。はっきり言って、EVAを凌ぐ大きさ。
 その巨体が、加速を付けてやってくる。
 受け止められるか?
 受け止められるに決まっている。
 何しろ、このあたしは弐号機専属操縦者、セカンドチルドレン、惣流アスカ・ラングレーなのだ。
 そして、この場の主役は、自分だった。自分の一挙手一挙動に、周囲の者が注目している。自分の活躍で、勝利を引き寄せる。──とどめを譲るのは面白くないが、この状況は悪くない。華やかなタイトルロール。主役は、自分にこそ相応しい。
 さあ、私を見て!
「さあ、来なさい!」
 アスカは、景気づけに叫び声を上げた。
 それを受けて、使徒がかかってきた。
「──!!」
 勢い良く、使徒の鼻面から水が吹き出し、それは、見事に弐号機の顔面を捉えた。
「水ぅ!」
『鉄砲魚?』
 誰かの声が、通信から聞こえてきた。
「あたしは、虫か!」
 予想外の攻撃に面食らい、弐号機はまともに水を顔で受けていた。
 慌て、弐号機の顔を水流から逸らし、アスカは、怒り心頭に達して、大声で吼えた。
 拭きかけられた水に、攻撃力はなかった。戸惑ったが、それだけだ。EVAの各所に問題はない。
 だが、これは、えらく自分を馬鹿にされたように感じた。
『アスカさん、集中!』
「え?」
 戸惑いの声が零れてしまう。
 吹きかけられた水から、逸らすようにしていた顔を上げる。
 すると、その真正面に、使徒の巨体が飛んでいた。
「え?」
 その巨体は、凄い勢いでどんどんと近づいてくる。
 近づいてくる?
 凄い勢い。なのに、その動きは、えらくゆっくりに感じられた。
「ええ〜?」
 アスカの悲鳴を残し、バランスを崩していたところに体当たりを喰らった弐号機は、使徒諸共に海面に落下した。


「……落ちよった」
 トウジが、どこかぼんやりとした声を零すのを背中に受け、ユウキは身を乗り出すようにして、でかい水柱の上がった海面を見つめる。
「アスカさん?」
 通信機に向かって叫ぶ。
『叫ばないでよ。私は大丈夫──って、何? 上手く動かない』
 煩わしげに返ってきた答えが、途中から焦り気味に変わる。
 ユウキは、視線でリツコに尋ねた。
「B型装備では、水中機動は無理ね」
 あくまでも冷静な声で、リツコが応じる。応じながらも、めまぐるしい早さで、キーを叩いている。
 各種オプションを付ければ、それなりに、謳い文句である「汎用」人型決戦兵器として、活躍できるEVA。しかし、各種オプション抜きでは、基本的に陸戦兵器である。
「提督、すぐに電源コンセントを巻き上げて下さい」
『解った』
 提督の方も、この戦闘の流れに、いささか戸惑い気味のようだった。
 弐号機が使徒を受け止め、口を開いたら即座に攻撃を──と、振り上げていた手の下ろしどころを捜しているような声。
 しかし、ユウキの言葉に、即座に指示を出す。
 ウインチのように、アンビリカルケーブルが巻き上げられていく。海面まで弐号機を持ち上げ、再びOTRの甲板にての再戦を挑む。
 だが、使徒はそれを呑気に待っているつもりはないようだった。
「使徒、弐号機に向けて反転してくるわ」
「……っ!」
 ユウキは、顔を顰めた。
 避けて、と叫んだ所で、弐号機の水中機動が滑らかになるなどと言うことはない。対して、使徒にとっては自分のフィールド、外すというようなことはないだろう。
「アスカさん、耐ショック!」
『え?』
 どうやら、海中では視界も悪いらしい。アスカの戸惑ったような声が帰ってくる。
「使徒が来ます。耐ショック!」
『わ、解ったわ』
 鋭く言われ、アスカは慌て気味に返事を返す。それから、一転、不機嫌な表情になった。
 反射的に従ってしまったが、それが気に入らないらしい。
「私に色々言いたいことがある様子ですが、今は戦闘に集中して下さい」
『……解ったわ。でも、動きが鈍くて──』
 ぶちぶちと言い訳のように口にするアスカの表情が、変わる。
 どうやら、弐号機に迫る使徒を発見したらしい。
『来た──って、口ぃ?』
「使徒だからねえ」
 シンジが、どこか呑気な声を出す。
 次の瞬間、使徒と弐号機の反応が重なった。ぶつかったらしい。
 それを示すように、アスカの顔を写しだしていたモニターの画面が激しくぶれ、直後、ブラックアウトした。
「?」
「弐号機、使徒の体内に侵入したわ」
「それって、喰われたっちゅう事か?」
 トウジが、他人事の声、表情で論評する。実際、トウジにとっては他人事だった。おまけに、どこか現実感がない。どうして、ワイはここにおるんやろうと、まるで帆村マサカネのような感慨を抱いていた。
「──それで、アスカさんは?」
「テレメトリが乱れて──バイタルに危険な数値は無し。でも……」
「でも、なんですか?」
 ユウキが、リツコに先を促す。
 リツコは、言いづらそうに、しかし、更に視線で請われて、口を開く。
「でも、どうやら気絶したみたいね」
「……」
「……」
 嫌な沈黙が、ヘリの中を支配した。
「電気ショックで、強制的に覚醒を──」
「残念ながら、弐号機はドイツ製で、フォーマットが違うの。今からプログラムを組んでいたら……」
 ネルフ本部、各支部、それぞれの縄張り意識。全く、救い難かった。
『どうするのかね?』
 困ったような、戸惑ったような提督の通信が入ってくる。
「……」
 ユウキも、困り果てたように視線を宙に泳がせた。


 考えが、上手くまとまらない。
 この状況で、一番有効で、一番冴えた手段は何だろうか?
 自らに問えば、即座に答えが返ってくる。
 弐号機を見捨てろ、と。
 ここは、弐号機を見捨て、太平洋艦隊の戦力を残すことを選択するべきだと。
 元々、弐号機はどうでもいい存在として、計算に入れていた。使えるならば良し、使えないならば、問題なく見捨てる予定だった。
 あくまで、自分たちがここ、OTRに来たのは、欧州ゼーレ組の切り札たる「灰」との顔見せ。そして、出来れば太平洋艦隊との間に、友好な関係を築くことである。弐号機及び、そのパイロットは、ついで以上のモノではなかったはずだ。
 だから、ここで弐号機を見捨て、後にネルフ本部進行を目指す使徒と再選するのは、予定通りの行動である。
 使徒に、自己進化が促されることは確実だが、まるで別物に変種するようなことはないだろう。ある程度の情報収集は完了しているから、それを元に迎撃案を作成して戦う。海上という、敵に有利なフィールドではなく、こちらに有利な場所で満を持して。
 負ければ、人類滅亡の戦い。
 その戦いに、犠牲は皆無などと、甘いことは考えたことはない。
 例えば、必要とあればシンジと初号機以外のEVA、並びにパイロットを犠牲にすることすら、躊躇うつもりはなかった。
 幸いと言っては難があるかも知れないが、ファーストチルドレン、綾波レイには代わりが山ほど居る。
 セカンドチルドレンは、ゼーレ組の操作の跡が色濃く見えるため、積極的に排除することすら考えていた。
 だから、ここで弐号機とセカンドチルドレンが失われたとしても、何の問題もない。
 ある意味、シンジさえ生き残れば、他はどうでもいいのだ。
 だが──
 だが、ここでセカンドチルドレンを見捨てることが、ユウキには躊躇われて仕方がない。
 非道く、分裂している。
 非道く、混乱している。
 セカンドチルドレンがいなくなることは、ユウキ個人にとっても、非道く都合が良い。
 今更、自分を欺いても仕方がない。
 シンジの隣にいるのは、自分であって欲しいのだ。
 これまでは、そうだった。そして、これからもそうだと思っていた。
 そこへ割り込んできたのが、セカンドチルドレン。惣流アスカ・ラングレー。
 非道く鬱陶しく、邪魔っけな存在。
 いない方が良いと思う。
 積極的に、いなくなるようにし向けたいと思う。
 このままでは、シンジのために良くないとも、思う。
 何しろ、相手は、ゼーレ組の心理操作を受けているのだ。「灰」のように、きっぱりと敵、と言うわけではないが、味方としても扱いづらい。下手をしたら、内なる敵になりかねない。
 だから、排除するべきだ。
 そう考え、ユウキは、至極冷静な目で、そう考える自分を見つめる。
 非道く、醜い。
 そう考える自分を、非道く醜いと思う。
 どんな理由を付けようとも、排除する理由は、非道く個人的なモノでしかないのではないか?
 自分にとって、邪魔だから、排除する。
 今までは、これは当然のことだった。
 自分とシンジにとって、邪魔となる存在は、排除するべきだ。
 一応、平和主義者を名乗ってはいるが、必要とあれば、躊躇はしなかった。
 世の中、穏やかな話し合いで解決する事ばかりではない。話し合いで解決しないのならば、躊躇わず、実力行使に出るべきだ。先んずれば人を制し、先んずられれば、人の制するところとなる。これは、事実だ。下手に遅れれば、自分の命すら失う。そうした環境で育ってきたユウキにとって、それは真理ですらある。
 だが──
 今回に限り、自分と、シンジの思いはすれ違っている。
 シンジにとって、惣流アスカ・ラングレーを失うことは、許容できないことだろう。
 いや、仕方がないとなれば、許容してくれるかも知れない。
 ユウキが本当に、排除を必要だと考え、実行したならば、シンジは納得してくれるかも知れない。
 これは、自分にとって都合よく考えているだけかも知れないが、ユウキはそう信じた。あるいは、そう信じたかった。
 だが、その排除の理由が、非道くあさましいモノだったとしたら?
 ユウキ個人にとって、都合が悪いからと言う理由が、多分に混在しているとしたら?
 シンジは許さないかも知れない。
 同時に、ユウキ自身にとっても、そのあさましさが許せないような気がした。
 らしくない。
 らしくないと、自分でも思う。
 答えのでない問いを突き詰めるよりも、他の次善の策を考える方が、この場合建設的である。
 だが、思考のループに填ってしまったかのように、上手く考えがまとまらない。
 考えようとするのだが、これが、一番冴えたやり方だと、頭の周りを鬱陶しく飛び回る、黒い角と羽をはやした、小さな自分自身が囁いてくる。その対抗馬たるはずの、白い羽をはやした小さな自分は、登場すらしない。これがまた、自分を醜く感じさせる。
 全く、今の自分はらしくない。確実に失調している。
 そう笑ってみるが、それで即座に考えが改められるわけでも、冴えた方法が思いつくわけでもない。
 ユウキは、戸惑った表情で、立ちつくした。

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