#95 自信の源


 立ちつくす少女を、モニター越しに太平洋艦隊提督は、不審の表情で見つめていた。
 当初は、このような年端もいかない──日本人は只でさえ若く見える所へ持ってきて、実際に若過ぎるほどに若い──少女が場を仕切ることに、驚きを感じた。
 また、最初の打ち合わせの段階で、弐号機のスペックについての理解度の低さを見せ、ますます、提督を不安にさせた。
 だが、その後の詳細の打ち合わせ、弐号機、太平洋艦隊両者の行動の摺り合わせ等で会話をし、捨てたモノではないと見直していた。充分な軍事知識を持ち合わせていることを、提督は知った。
 年端の行かない少女が、どのような経験をして、このような技能を身につけたのか。どのような経験をして、このような知識を身につけたのか。
 それを考えると、提督は苦い表情になる。
 このろくでもない世界。本来ならば、この少女は、蝶よ花よと、育てられていてしかるべきだ。そうなるべく、提督は戦い続けてきた。その為に、戦ってきた。
 それが、子供ですら殺し合いについての知識と技能を持ち合わせるこの現状。全くもって、今の世界はろくでもない。
 同時に、自分の力不足を痛感していた。自分たちがしっかりしていれば──と、考えずにはいられない。勿論、自分一人で世界を変えることなどは不可能で、それがどれほど大それた、傲慢な考えであるか、その事を、承知している。それでも、提督は考えずにはいられなかった。
 とは言え、現実問題、ネルフに使える人材がいる、と言うことは、幸いだった。これが、特権を笠に着て、高飛車に騒ぐだけ、そんな人間の相手をしなければならなかったとしたら、間違いなく自分はキれているだろうと思うから。
 提督は、100パーセントではなくとも、それなりの信頼を、目の前の少女においていた。
 だが──
 高々少し、事態が上手く行かないだけで立ちすくむとは、過大に評価しすぎただろうか?
 予定の行動から外れ、弐号機は使徒にしてやられてしまったようだ。だが、この程度で機能停止に陥るとは……
 子供である。確かに、過大な期待だったかも知れない。だが、戦闘行為中に、子供も大人もない。負ければ、危険に晒されるのだ。下手をしたら、命を失うのだ。特に今回、空を飛んでいるネルフスタッフに比べ、自分を含む太平洋艦隊の方が危険が大きい。
 だから、このような状況は、許容できない。提督は、国連軍太平洋艦隊の提督──最高責任者である。だから、意味もなく策もなく、部下が危険に晒されることを、許容は出来ない。
 即座に建設的な策をうち立てて貰わねば、困る。建設的な策がないのであれば、逃げるべきだ。只迷っているだけでは、事態は好転しない。世の中というモノは、行動してようやくとんとん。放っておけば、際限なく状況が悪くなるモノと決まっているのだから。
 これが友軍だったら、提督がしゃしゃり出ることも考えるところだ。だが、残念なことに、相手は別組織、ネルフ。しかも、EVAや使徒など、提督にとって理解不可能な存在だ。専門外の世界だ。とてもではないが、手や口を出せない。
 提督の少女に対する期待が、不審に代わり、そして、不満、失望へ。ついには、絶望に変わろうとしたとき、助けが登場した。
 助けは、二つ。その内の最初の一つは、太平洋艦隊、そしてこの場にいるネルフスタッフ。その双方の味方ではなかった。


 エレベーターで、一機の戦闘機が甲板上に現れる。
 現れたのは、Yak38改。OTRの様な、広大な飛行甲板を保つ空母の艦載機としては非常に珍しい垂直離着陸機である。雑多な機体が存在するのは、整備、補給、その他の観点から見れば、非常に非効率的だが、あくまで国連軍──多国籍軍であるだけに、避けられない事情だ。
「何事だ?」
 報告を受けて、提督は一時的に少女のことは失念し、そちらに注意を向けた。
 戦闘機の展開は、当初の段階で提督は諦めていた。OTRが回避行動をしながらの爆装、そして、発進。しかも、甲板上でEVAが活動するという。EVAの大重量で、飛行甲板はベケベケになるだろう。間違いなく、着艦不可能な状態になるはずだ。只でさえ、予算が削られ、「セカンドインパクト前のビンテージモノ」等と陰口をたたかれるような状態。持ち合わせの兵器を、大事に使うしかない。既に戦艦一隻沈没、一隻は大破。更には武器弾薬を大量消費している。セカンドインパクトの影響で、更には金食い虫の特務機関のせいで、国連だって資金は潤沢といえない。損害分の建て直しに、どれだけの月日が必要になるだろうか? これ以上、無駄な出費は抑えたい。そんな思いもあった。今時の提督は、只のウォーモンガーではいられないのだ。
 だから、この段階で戦闘機が上げる様な命令は、勿論出していない。ネルフ側に必要だと言われれば、出すしかないのだが、幸い、その依頼はなかった。これはネルフ側が気が付いていないわけではなく、きちんと話し合った上での結論である。提督としては、喜んで受け入れていた。だから、絶対に飛ばす気はなかった。
 この艦隊の最高責任者は自分である。
 その自分が命令を出していないとなれば、独断専行? 
 軍隊において、許されることではない。極論すれば、命じられれば、死ぬ。兵士には、その様なことが期待されているのだ。
 もしかしたら、敵前逃亡?
 ますます、許されない。子供が戦っているのだ。それを、大人である自分たちが逃げ出す? 絶対に許容できない。その様な人物が、自分の艦隊にいる、それすら、許せない。
 今回は、敵前逃亡だった。
 ひらりと飛び上がったYak38改から、通信が入ってくる。
『よお、リッちゃん。俺、届け物があるんで、先行くわ』
 緊張感のない声。通話先は、ネルフのヘリだったが、当然のように、提督の方にも聞こえてくる。
『加持君?』
 戸惑ったような、赤木博士の声。
 どうやら、ネルフ側にとっても、この行動は予想外らしい。
「あの男か!」
 提督は、苦虫を噛みつぶした顔で、ファックとか、サノバビッチとか、やばい単語を大声で喚き散らす。
 全く、最初から気に入らない男だったが、最後の最後まで、気に入らない。日本人のくせに、ことわざを知らないのか。発つ鳥、後を濁しまくりだ。
『さあ、やってくれ』
『了解しました……ひいふう』
 こんなやりとりの後、あっという間にYak38改は飛び去っていく。
 提督はそちらを睨み付けた。
 圧倒的な怒りの前に、少女に感じていた失意は、脳裏から過ぎ去っていた。


 次の一つは、空からやって来た。
『お待たせしました。EVA初号機、お届けに上がりました〜!』
 陽気な、子供っぽい女性の声。
 同時に現れたのは、EVA初号機を積んだ、大型キャリアー。
『え?』
 と、戸惑った声がネルフスタッフの乗るヘリからも聞こえてくる。どうやら、これもまた、ネルフスタッフにとっても、予定外の事らしい。
『マヤ、一体どうして?』
 赤木博士の、驚いたような声が聞こえる。
『こんな事もあろうかと、厚木に話を付けておきました』
 さあ、誉めて下さい。
 そんな、今度は男の声。
『日向さんまで?』
 少年の驚きの声。
『いざというときのために、備えは常に必要です。そう、こんな事もあろうかと!、です』
 嬉しそうに、男──日向マコトの声が応じる。
『ネルフの最強戦力である、シンジさんと初号機のコンビが常に使えるように備えておくのは、作戦部としては、当然の仕事。別に、誉めて頂く必要はありません。それでも、誉めてくれようと言うのでしたら、例のチケットを──』
 すっかりある種のお風呂に填ってしまった日向であるが、当然、提督はそれを知らない。
『……それは良いけど、どうやってシンジ君を初号機に乗せるつもり?』
 冷たい声が、はしゃぐ日向に水を差す。赤木博士である。
 リツコにとって、「こんな事があろうかと」は、作戦部如きの人間が、容易く使って許容できる言葉ではないのだ。この言葉を使って良いのは、お稚児さんの探偵団を引きつれた名探偵と、その好敵手、そして何より、自分のような科学者だけなのだ。それ以外の者が使用するのは、冒涜だ。
 が、提督は、勿論そんな事情は知らない。
 勝手に進んでいく話に、戸惑いの表情を浮かべ、ネルフスタッフのやりとりを見守るしかない。
『う……それは……』
 どうやら、勢い込んで運んできたのは良いが、その辺りのことは全く考えていなかったらしい。
 流石のOTRも、EVAを積んだ初号機を着艦させることは不可能である。とてもではないが、着艦するには距離が足りない。おまけに横幅も。ロープやネットを使っても、勿論不可能だ。下手をしたら、OTRの艦橋部を削り取った挙げ句、海に落下するだろう。いや、無理に着艦しようとすれば、確実にそうなる。
『……じゃあ、シンジ君が、飛び移るというのは?』
 無茶苦茶な提案をしてくる。
 ヘリと、キャリアー、彼我の速度差は、かなりのモノである。ヘリが全速で飛んでも、話にならない。逆に、ヘリに合わせるようにキャリアーが速度を落とすというのも、現実的ではない。初号機を抱え、無理矢理飛んでいるかに見えるキャリアーである。あっさりと失速して、墜落するだろう。
『無茶言わないで下さいよ。流石に、僕だって飛行機に跳ねられたら、骨の一本や二本は逝っちゃいますよ』
 それは、ずいぶん控えめな見積もりに思えた。とてもではないが、その程度で済むとは思えない。おそらく、跳ねられた瞬間に赤い霧になってお終いだろう。……普通の人間なら。
『赤木博士』
 そこへ、少女の声が割り込んできた。
 その声を聞いて、提督は「ほう」と小さく呟いた。
 少女の声からは、先刻までのどこか戸惑ったような、迷ったような響きが消え失せていた。表情も、どこか泣き笑いにも似たぎこちない笑顔が消え、ごく普通に微笑んでいる。
 この短時間で立て直した? ならば、まだ失望するには速いか?
 提督の感想をよそに、少女は続ける。
『EVAは、水に浮きましたよね?』
『ええ。……ほぼ、人体と同じ比重だから、脱力していれば、普通に浮くはずよ』
『解りました』
 少女は一つ頷くと、告げた。
『日向さん、構わないから、EVA初号機を投下しちゃって下さい』
『え?』
 と、戸惑いの声。
『シンちゃんを初号機に乗せる。これを、最優先課題とします。海面への激突で、少々ガタが来ても構いません。やっちゃって下さい』
『僕はちょっと、構うんだけど……』
 初号機のパイロットらしい少年のぼやきは、無視された。
『了解しました』
 少女のきっぱりとした言葉に従い、キャリアーは投下準備に入ったようだ。
『とは言え、太平洋艦隊にぶつけるのは駄目ですよ。──あ、そうそう。出来れば、OTRのそばに落として下さい』
『待ちたまえ。それでは結局、水中戦になってしまうのではないかね?』
 提督は、慌て、一つ確認をする。
 最強の戦力という。それは良い。だが、同じEVAである。水中機動は出来ないのではないか?
 その提督の不安を、少女は笑い飛ばした。
『シンちゃんなら、大丈夫ですよ』
 我が事のように自信に満ちた受け答え。
 提督に、それ以上の抗弁をするつもりは無くなった。
 思考停止?
 だが、少女がこれだけ信じているのだ。だから、大丈夫だろう。信じてみよう。
 そう思わせるだけの表情を、少女は浮かべていた。先刻の、頼りなさは何処にもなく、輝いて見えるほどだった。
『やだなあ』
 だが、その少女に期待された少年は、心底嫌そうに呟いた。
 しかし、少年のぼやきは綺麗に無視されて、初号機はキャリアーから投下された。

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