#96 彼女が下着に着替えたら


 キャリアーに戒めていたロックボルトが外され、EVA初号機は空に投げ出された。
 短く、滑空と言うにはいささか無様に宙を舞い、海面に激突した。
 激突である。
 操縦者抜きの初号機は、人形に過ぎない。綺麗な飛び込みなど、初手から期待できない。
 また、キャリアーも、空を飛んでいるためには、さほどの減速は出来ない。何しろ、巨大な推力にモノを言わせて、無理矢理飛んでいるような代物なのだ。燃費を聞けば、経理担当が顔を顰める事間違い無しの、大食らい。力任せの飛行である。失速すれば、即座に墜落してしまう。だから、速度は殆ど落とさずに初号機を投下したのだ。
 全てを承知した上で、しかし、多くの者は、顔を顰めた。
 水切りの要領で一跳ね、二跳ね。そして、初号機は一旦海中に没した。
「……アレって、人間だったら、非道いことになっていませんか?」
 おそるおそる、シンジがリツコに尋ねる。
「……」
 リツコは無言で、それを肯定した。
 非常に無様な着水。似ているモノを上げれば、衝突実験用の人形が車に跳ねられたところか。人だったら、軽く手足の一本二本は逝ってそうだ。悪くすると、首を逝ってしまって即死状態。そんな無様な落ちっぷり。
「アレとシンクロするんですよねえ? なんか、非常に嫌な予感が……」
 シンクロシステムの弊害。初号機とシンクロすれば、その損傷が、痛みとなってパイロットにフィードバックされる。
 シンジは、うんざりとした表情をした。
「覚悟を決めて下さい」
 ユウキが、まるで他人事の口調で告げてくる。実際、ユウキには他人事かも知れない。
 シンジは、その言葉を受けて、はあ、と大きくため息を零した。
「解っていると思いますが、電源コンセントの予備はありませんから、短期決戦でお願いしますよ」
 当然、初号機はフル充電しているが、それでも活動時間は5分である。いかにも、短い。
「了解」
 シンジは頷き、ヘリの扉を開けると、海面にぽっかりと浮かび上がった初号機の背中を見つめた。
 幸いなことに、初号機は背面を上に向けた、うつぶせの恰好で浮かんでいる。まるで土左衛門の様だが、これは幸い、幸運に分類されることだ。これで、わざわざ海面下に潜ってエントリーする手間が省けた。
「青葉さん、もう少し左へ寄せて──はい、オーケー」
 眼下を見ながら指示を出し、シンジは一つ頷くと、あっさりと宙に体を投げ出した。
「え?」
 と、ユウキを除く、見ていた者が吃驚するようなあっさりさ。
 躊躇も迷いも欠片もない。
「何を──」
 慌て、リツコが開いた扉から身を乗り出し、眼下を見て、慌てて引っ込む。
 高所恐怖症の気はなくとも、思わずクラリとしてしまいそうな高度に、ヘリはいた。初号機が下手な跳ね方をして、非道いことになってしまっては大変だと、かなりの高度を取っていた。これから高度を下げて、更に寄せて、と考えていた矢先に、シンジは飛び出してしまったのだ。
「これくらいの高さならシンちゃんは平気ですよ──って、拙い!」
 シンジの肉体が、どれだけ人間離れしているか。下手をしたら当人以上に承知しているかも知れないユウキが保障し、直後、自説を引っ込めるようなことを叫んだ。
 じゃぽんと、水音は聞こえなかった。
 が、ヘリの下の海面に水の柱が上がった。
 上手く着水したらしい。と、リツコは安堵した。
 流石に、シンジの体がいくら頑健とは言え、高度が高度である。初号機の背中に飛び降りるより、海面に飛び込む方が安全だろう。
 だが、リツコは何気なしに横のユウキに視線を向けて、ぎょっとして目を開いた。
 ユウキは、着用していたネルフ式典用礼服の上着のボタンを引きちぎるようにして脱ぎ捨てていた。それから、躊躇無く、スカートを床に落とす。
「し、白や……」
「凄い凄い凄すぎる〜って、ああ〜カメラ、カメラ〜!」
 鼻血を出しそうな声で叫んでいるトウジ、先のオセロー・テンペストの激突の際にカメラを壊してしまって嘆くケンスケの二人の顔にぶつけるように、両の靴を脱ぎ捨てる。
「な、何を?」
 突然のストリップに驚き、ようやくこれだけ絞り出したリツコに、ユウキが答えた。
「シンちゃんは、泳げないんですよ!」
「え?」
 と、戸惑いの声を出して、それからリツコはようやく思い出す。
 確かに、シンジは見事なくらい、泳げなかった。例の特訓も、全く効果を見せなかった。あの出鱈目な身体能力から見れば考えられないのだが、シンジは完璧なまでの金槌だった。
 シンジは、リツコの考えとは違い、初号機の背中に降りることを狙って飛び降りていたのだと、今更に気付く。
「こちらは後、頼みます」
 ユウキは告げて、両手人差し指を舐めると耳に突っ込み、それから、先のシンジがそうであったように躊躇無く、ヘリから身を躍らせていた。


 ユウキの姿が海面に飛び込んで、僅か。
 僅かな時間だろう。5分と経っていないはずだ。人は、それほど長くは水中に潜ってはいられないから。
 しかし、その僅かな時間が、えらく長時間に感じた。手首に巻いた時計に視線をやると、デジタル表示の数字は、吃驚するほど進まない。そのくせ、目を離すと吃驚するほどに進んでいる。時間の感覚が完全に狂っていた。
 リツコは恐怖も忘れて、ヘリのぽっかり開いた扉から、海面を見下ろす。
 海面は、戦闘の影響もあってか、荒れている。
 意外に、風も出ているようだ。
 その辺り、シンジが読み誤り、着地地点を間違えた原因だろうか?
 何はともあれ、そろそろ出てこないと──
 そう思ったリツコの視線の先に、オレンジ色の小さなモノが見えた。
 目を瞬き、もう一度確認する。
 確かに、海中、何かオレンジのモノが。
 それは、徐々に大きくなってくる。即ち、海面に上昇しているようだ。
 オレンジ?
 シンジはネルフ礼服──しかし途中で上着を脱いでしまったため、普段の学生服と殆ど変わらない恰好。ユウキはブラウス、下着共に白。両者ともに、その様な色合いでは無かったはずだが?
 と、首を傾げるリツコの先で、そのオレンジのモノは、しっかりと海面に姿を現していた。
 それは、ゴムボートだった。
 普段は小さく畳まれているが、使用時には爆発的に膨張する類の、救命用のゴムボート。
 そのゴムボートの脇に捕まって、ユウキが姿を現し、次いで、結構苦労しながらシンジを引きずり上げる。どうやら、シンジは気を失っているらしい。
 シンジと違い、ユウキの方は人間離れした体力を持っているわけではないのだ。自分とほぼ同じ体格の人間を持ち上げるのは、確かに結構な苦労だろう。
「……」 
 とにもかくにも、二人の体がゴムボートの上に移り、リツコは安堵の息を零し、同時に呆れ返った。
 どうやら、ゴムボートはユウキが持っていたらしい。準備の良いことである。
 が、相変わらず、何処にどうやって隠し持っていたのか? 今回は、スカートも自分で脱いでしまっているというのに。
「……考えるだけ、無駄か」
 リツコは小さく呟いた。今は、二人が無事であったという事だけで、充分だった。充分だと思った。


 ユウキは、ゴムボートの上にシンジを寝かせると、その胸に頭を乗せ、心音を確認した。
 その気になれば、10分くらいは平気で呼吸を止めていられるはずのシンジである。しかし、泳げないと言う苦手意識があるせいか、あっさりと意識を手放してしまっていた。
 心音は──ある。
 今度は、鼻の下に指先を当てる。
 呼吸は──停止?
 即座にユウキはシンジの首を真っ直ぐにするようにして気道を確保すると鼻をつまみ、躊躇無く、マウス・トゥー・マウスで人工呼吸を試みる。
 そして、慌てて顔を放した。
 自分の口元に手を当て、僅かに頬を赤らめて、呆れ気味に呟く。
「さすがはケダモノシンちゃん。この状況で、普通舌を入れますか?」
 ぴゅ〜っと、鯨の潮吹きのように水を吹き上げて、シンジはあっさり覚醒したようだ。
「……本当は、最初から気が付いていたんじゃないですか?」
「何が?」
 ジト目で睨み付けるユウキに、シンジは心底不思議そうに尋ね返す。どうやら、本当に無意識の行動らしい。
 それから、ユウキの恰好を見て、目を丸くする。
「ユウキ、その恰好は?」
「……着衣のまま、溺れている人を助けられると楽観視できるほど、私は出鱈目じゃありませんから」
「ええと」
 シンジは左右を見回して何もないことに気付くと、自分の上着を脱ぎ始めた。前述の通り、上着を脱いでいたため、シンジはこれで上半身裸になる。
「……まさか、今ここでおっぱじめるつもりですか?」
「ユウキが僕のことをどう思っているか、良く解ったような気がする」
「ズバリ、ケダモノです」
「……」
 わざわざ念押ししてくれるユウキに向けてシンジはため息を零し、脱いだ服を手渡す。
「これを羽織るかして」
「別に私は気にしませんよ」
「僕が気にする。だって、上も下も透けているし」
「そう言うことを言われると、恥ずかしくなるじゃないですか!」
「だったら、ほら」
 と、押しつけられて、ユウキはシンジの上着を纏う。
 シンジ、ユウキの背格好に差はないため、非常に際どい恰好だが、無いよりはましだろう。
「そんなことよりは、今は──」
「解っているよ」
 シンジは、ゴムボートの上に立ち上がり、初号機の方を見た。
「100メートルあるか、無いか……」
 彼我の距離を目視して呟く。幸いなことに、結構近い。元々、初号機を狙って飛び降りたのだから、絶望的なまでに離れていることはあり得ないだろうが。
 ゴムボートには、エンジンその他は着いていない。オールが着いてはいるが、それでえっちらおっちらこぐのは、時間がかかりすぎるだろう。
「海面も荒れていますが、まあ、ここは、記録に挑戦するつもりで──」
 言いかけたユウキを、シンジは横抱きに抱え上げていた。いわゆるお姫様だっこである。
「え?」
 きょとんとユウキは、次の瞬間、吃驚したような顔になる。
「何をするつもりですか?」
「ユウキをここに置いて置くわけには行かないでしょ?」
 シンジは、至極当たり前に答えた。
 確かに、この場に残していくことは、非常に危険だった。
 海は、戦闘の影響で荒れている。小さなゴムボートでは、あまりにも頼りない。
 また、これから更に戦闘が繰り広げられる。そうなれば、ますます危険だ。
「だから、ユウキも一緒に乗ろう」
「乗ろうって、私が乗っても、ノイズ以上のモノにはなりませんよ。只でさえ低いシンクロ率が、更に下がるだけです」
 未だ、一拍以上のタイムラグに苦しめられていると言うのに、更に拙いことになることは確実だ。そうなれば、当たり前だが勝率は下がる。
「ここにユウキを残していく方が、気になって戦えないよ」
「──それに、シンちゃん、人一人抱いて、初号機までたどり着けますか? 流石に今度溺れたら、助けきれないかも知れませんよ」
「何とかなるでしょ。だいたい、ユウキが記録に挑戦しろって言ったんじゃないか」
 シンジは、まるで迷うことなく、あっさりと告げた。
「そんな簡単に──」
「もう良いよ。ユウキは、出来るって信じてくれていれば良いんだよ」
「……信じられる訳無いじゃないですか。ケダモノシンちゃんなんて」
 小さく不平を述べ、それでもユウキは力を抜いて、シンジに体を預けた。

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