#97 執事達の沈没


 Yak38改は、素晴らしいスピードで海上を飛行していた。
 その後部、コパイロット席に収まり、加持リョウジはのんびりとくつろいでいた。
 胸元には、「運ぶモノ」──アダムフェイクの入ったトランク。表向き重要物を運ぶ特殊任務、なのだが、手首に繋いだ手錠以外はそれを伺わせるところはなく、すっかり、くつろぎきっていた。すっかり、気を抜いていた。


 加持リョウジが、Yak38改を準備、そして使用することは、OTR提督の許可を受ける必要もない、至極簡単なことだった。
 太平洋艦隊のトップに立つ、提督。その構成員は、提督の命令に従わねばならない。そうでなければ、軍組織として成り立たない。だから、それが道理である。
 しかし、なかなか道理通りには行かないのが世の中。そして、そうした道理の裏側を上手く通り抜けるからこその、スパイ、加持リョウジである。
 しかも、只のスパイではない。表向きは、三足草鞋で信用ならない三流スパイだが、その実体は、二つ名「灰」を持つ、超一級品のエージェント。
 とは言え、それほど、難しいことを考える必要もなかった。
 何しろ、加持が所属しているのは、欧州ゼーレ組。
 国連を支配下に置くような巨大組織である。その傘下の者、あるいは、その影響下にある者は、世界中に散らばっている。例えば、OTR艦内にも。
 ならば、話は簡単である。
 加持は、欧州ゼーレ組の密命を受けているのだ。
 ただ、その影響下にある人物の耳元に口を近づけ、小さな声でお願いするだけで良い。
 そして、目論見通りあっさりと、Yak38改は、パイロットごと、加持に利用可能な状態になった。
「ゼーレのシナリオのために」
「ゼーレのシナリオのために」
 決まり文句を交わしあった後、加持は機上の人となり、次いで、空の人となった。


 加持は、のんびりとした顔で、自分がやって来た方を振り返った。
 最早、見えもしないが、あちらでは激しい使徒との戦闘が行われているはずである。
 胸躍る、スペクタクル!
 見物したいと思う気持ちは、正直ある。
 別段、これまで随伴をしてきたアスカの活躍を見たいわけではない。向こうがどう思っているかは兎も角、加持にとって見れば、アスカなど、どうでもいい存在である。
 いや、一応はゼーレのシナリオのため、アスカには近づいておいた方がいい。アスカが上手い具合に壊れなければ、最後の一押しを自分で行う必要が出るかも知れないから。その時のために、都合が良いように。
 あくまで、その程度しかない。
 加持の興味を惹きつけているのは、碇シンジである。
 あの、碇ムテキの正統後継者と目される少年。
 アスカなどより、余程、興味深い。
 無論、変な意味の興味ではない。加持は、西瓜のような巨乳が好きな、至ってノーマルな嗜好をしているから。お稚児さん趣味はない。
 そのシンジが、あの使徒との戦いをどのように繰り広げ、どのように勝利するのか。
 全くもって、興味深い。
 シンジが敗北するなどとは、欠片も考えていない。
 何しろ、あのムテキの後継者なのだから。
 もしまかり間違って敗北するようなことになれば、ゼーレとしてはそれを望んでいるにもかかわらず、加持は非道く落胆するだろう。
 なにしろ、ここの所、ついぞ無かった楽しめる任務だ。
 最終的な勝利が自分の側に来ることは間違いないが、その課程は充分に楽しめるはずだ。楽しむつもりだ。
 ここの所の任務は、加持にはいささか簡単すぎ、つまらないモノばかりだった。
 仕方がないので、少しでも楽しめるよう、火のないところに煙を起こし、小火には油をかけて盛大に燃え上がらせと、より楽しめるように努力してきた。加持以外の当事者達にとっては非常にはた迷惑な事であったが。
 しかし、それでも、心は躍らなかった。
 敵は、あまりにも脆すぎた。
 困難な任務をしてみたい。ここの所、加持の心を捉えてやまない欲求である。
 強大な敵を心から望んでいた。
 勿論、最後に勝つのが自分である、これは絶対条件だが。
 そして、今回の任務。
 心が躍る。
 未だ、顔合わせ程度だが、充分に楽しめるであろうと言う感触があった。
 碇シンジ。
 アレは、確実に自分のことを承知した上で、喧嘩を売ってきていた。
 三足草鞋の信用のおけない三流スパイではなく、欧州ゼーレ組の切り札の一、「灰」である自分に。
 面白い。
 非道く、面白い。
 がっついては面白くない。ここは我慢して、より楽しくなるように状況を整えてから対決するべきだと、のらりくらりと受け流したが、そのままの対決と言う選択も、心をそそられた。それでも、ここの所の任務などよりも、楽しめることは確実だと感じた。全く、さすがは碇ムテキの正統後継者。
 加持は、にやりと一人、ほくそ笑む。
 今回の任務は、楽しいことになる。これは、最早確信だった。
 そして、あの小娘。
 あの小娘にも、非道く油断のならない印象を感じていた。
 戦闘能力は、正直さほどのモノではないだろう。しかし、提督とのやりとり等から、年齢からは想像が付かないほどしたたかで、油断のならない人間であると知れた。
 更に、碇シンジとの関係も興味深い。彼女を使って、対決の場を演出する、と言うのもおもしろかも知れない。その場合、自分の役所は悪役になりそうだが──それはそれで、また一興である。
 また、アスカもそうだが、この小娘も、年齢に比して成長著しい。もしかしたら将来的には、加持の好みに合致するまでに発育するかも知れない。
 どうせ悪役ならば、そう言う楽しみも良いかも知れないと、加持は鼻の下を伸ばして考える。
 そして、田茂地。
 元、神戸山王会ゴミ処理係。それ以上に、あの碇ムテキの片腕だった男。
 油断がならないとなれば、先の小娘以上に、この田茂地こそ油断が出来ない。どんな場面でどんな具合にこちらの足をすくってくるか、全く、想像も付かない。戦闘能力は兎も角として、スパイ、エージェントとしての能力で言えば、自分よりも上かも知れない。素直に、そう思う。
 一体、どうやってこちらの足をすくってくるのか?
 これも、楽しみの一つだ。
 いや、足をすくわれるばかりが能ではない。こちらも、超一流のエージェントなのだから、それで喜ぶのも問題だろう。
 だから、逆に、それを出し抜いてやれたとしたら?
 気分は最高に違いない。
 加持は、その場面を想像して、一人、にやにやと笑う。
 更には、「ギターを持った渡り鳥」
 正直に言えば、戦闘能力その他、碇シンジに劣ると見ている。
 だが、それでも、ここの所の任務で相手にした者達に比べれば、充分以上に美味しそうな相手だ。
 碇シンジがいなければ、この、「ギターを持った渡り鳥」を相手にすることすら、心待ちに、楽しみに感じていたかも知れない。
 だが、駄目だ。
 碇シンジがいるのだから。
 しかし、メインディッシュ碇シンジの前に、オードブル程度には楽しめるだろう。立派な、充分以上のオードブルだった。
 全く、小さな碇組にしては、充分以上の人材の充実度だ、と、加持は笑う。
 そして、更に。
 彼の地には、あの男がいる。
 碇シンジなど問題にならない大物。
 勿論、碇ムテキだ。
 既に伝説とまで言われている、地上最強の生物、碇ムテキ。
 考えると、身震いする。
 逸話の数々は、どれも眉唾物だが、それにしたって、強力な人物であることは疑いようもない。
 その、ムテキとの対決の機会も、きっとあるに違いない。
 何しろ、碇シンジは碇ムテキの後継者と目されているのだから。
 既に引退を表明し、無関係を装っているとは言え、碇シンジが真実、ピンチになれば、この男が出張ってくるかも知れない。
 加持は、ぞくぞくと体を震わせた。
 あの、碇ムテキとの対決。
 素晴らしい。
 本当に素晴らしい。
 これ以上の楽しみは、きっと、何処にも存在しないに違いない。
 そして、晴れて勝利すれば……
「いやはや、俺が地上最強の生物か?」
 悪くない。
 にやにやと笑いを顔に貼り付けた加持は、そこでふと、違和感を感じた。
 その正体を探るべく、視線を巡らせる。
 目の前の計器。これは、どうでもいい。コパイの役目は火気管制やナビゲート。今回は、どちらも期待されていないから、加持は計器を見る必要すらない。
 ならば。
 と、加持はキャノピー越しに視線をぐるりと巡らせた。
 青い空。青い海。
 当たり前の光景。何処も全く当たり前の光景が、ぐるりと360度に存在する。この青い空の下で、この青い海の上で、死力を尽くした戦闘が行われているなど、ちょっと考えにくいほどの、平和な光景。
 そこまで考え、加持は首を捻った。
 360度?
 何故に、360度なのだ?
 自分は、陸を目指して飛んでいるはずだ。
 太平洋艦隊は、さほど、陸から離れた場所を進んでいたわけではない。だからこそ、深度が浅すぎ、爆雷などが使徒に対して攻撃効果を望めなかったのだ。
 果たして、太平洋艦隊を発ってどれだけの時間が経ったか。正確なところは解らないが、いくら何でも、もう、陸が見えていなければおかしい。
 なのに、360度、海と空に囲まれ、陸地は、何処にも見えない。
 一体、自分は何処へ向かっているのだ?
 この飛行機は、何処へ向かって飛んでいるのだ?
「おい!」
 体を椅子から浮かして、加持は前席のパイロットに声をかけた。
 道を間違えた?
 確かに、空には標識が出ていない。厚木まで何キロ。そんな表示は出ていない。また、コパイの加持は、何も仕事をしていなかった。ナビゲートは、確かにコパイの仕事かも知れない。だからと言って、道に迷う? 異常事態だ。
「どうかなさいましたか?……ひいふう」
「何処へ向かって飛んでいるんだ?」
 加持は、ドスを効かせて詰問した。
「ひいふう……さあ?」
 あっさりと、パイロットは巫山戯た返答を返してきた。
「……貴様」
 加持は、すっと目を細めた。
 敵だ。
 心理的に戦闘状態に入る加持。
「潮時でございますね……ひいふう」
 パイロットは、呟くと、その右腰の辺りで、カキンと、金属の噛み合うような音が聞こえてきた。
「──!」
 反射的に、加持は顔を庇う。
 次の瞬間、キャノピーが吹き飛び、直後、加持の体を噴射炎が襲った。
 前席が射出されたのだ。
「──糞!」
 加持は短く吼えて、背後を振り返る。
 噴射炎を浴びて、本来ならば非道いことになっているはずの場面だが、加持は全く煤けたり焦げたりはしていない。只、加持の頭の上のキャノピーはぼろぼろになって吹き飛んでしまっているが。
 容赦なく吹き込んでくる風に尻尾髪を弄ばれながら、加持は目を凝らして、パイロットの姿を捜す。
 見つけた。
 パイロットは、パラシュートではなく、まるで凧のようなモノに捕まって、やって来た方へと去って行くところだ。信じがたいが、あの形状で、グライダーのように風に乗って空を飛べるらしい。
「俺を甘く見たな」
 獰猛な笑みを口元に浮かべ、加持は操縦桿を握った。
 自分は、超一流のエージェント、欧州ゼーレ組の「灰」。
 当然の如く、飛行機の操縦だって出来る。
 とって返し、機銃で蜂の巣にしてやる。
 ──が。
 加持が操縦桿を握るのを待ちかまえていたように、エンジンが咳をし始めた。
「何?」
 見れば、ガス欠。
 ご丁寧に、行きがけの駄賃に残りのガスを全て放出していったらしい。
 ガスがなければ、飛行機は鉄のかたまり。無論、風に乗ってある程度は飛べるが──
 更に、機体各所で小爆発が起こり、それすら不可能なように破壊していく。
「お、おのれ〜〜〜!」
 見事にしてやられた。
 それを悟ると、加持は大声で吼えた。
 しかし、割れたキャノピーから吹き込んでくる風が強すぎて、その叫びは加持以外の誰にも聞こえなかった。


「……ひいふう」
 まるで忍者のそれのような巨大な凧に掴まった田茂地は、起爆装置を放り捨てた後、取り出したハンカチで流れる汗を拭った。
 向こうのほうでは、煙を引いて墜落したYak38改が、あっさりと沈没していくのが見えた。
「いささか、タイトルに偽りありですが、任務完了でございますね……ひいふう」
 田茂地は呟き、凧の進路を、今度こそ陸の方に向ける。
 そして、よく仕事をした自分へのご褒美の、ブルーベリー味のガムを取り出した。
 仕事上がりの一枚は、最高の味だった。

[BACK] [INDEX] [NEXT]