#99 愛に時間を……(下)
シンジは、初号機を操り、OTR甲板でのたくっているアンビリカルケーブルを掴み上げさせた。
その先には弐号機が、そして、弐号機をくわえた使徒が存在する。弐号機の方はパイロットのアスカが気絶してしまっており、使徒に成されるがまま。使徒の方は、一旦噛みついた弐号機を手放すのが惜しいのか、そのままの状態で、右へ左へと、進路を変えている。その度に、OTR甲板のアンビリカルケーブルもまた、右へ左へと場所を変える。挙げ句に、使徒はアンビリカルケーブルの繋がったOTRも引っ張り回そうとでも言うように、勢い良く泳いでいる。
まさしく、トローリングである。
「さて」
シンジは、ケーブルを持ち上げた。
「……どうするつもりですか?」
ユウキが尋ねた。
初号機の力を使えば、バレさえしなければ、無理矢理ケーブルを引っ張って弐号機ごと使徒を釣り上げることも可能だろう。
だが、それをするには時間が足りない。
内臓バッテリーで稼働中の初号機は、間もなく、電池切れで動かなくなる。
数字は──すでに、3分を切っている。
えっちらおっちらケーブルを引っ張っている内に、時間切れは間違いない。
「まあ、アスカには悪いけど……こうする!」
シンジは気合いの声と共に、ケーブルを上下に大きく振った。
ケーブルに、波が生じる。
その波は、そのまま先端めがけて伝わっていく。途中、どう見ても抵抗が大きくて、波を消してしまいそうな海があったというのに、問答無用で。
そして、僅かな時間の後、波は先端部まで達し、大きく跳ね上げた。
海面を割って、弐号機が、そしてそれをくわえた使徒が飛び上がってくる。その勢いは大したモノで、硬く弐号機に噛みついていた使徒が、弾かれてしまうほどに。
きらきらと飛沫をまき散らしながら、使徒が宙を舞い──
その時には、シンジは準備していた次の行動をとっていた。
肩口のウェポンラックからナイフを引き抜き、鋭く投じていたのだ。
プログレッシブナイフは、以前のシンジの要求により、従来のモノから投擲向きの形に全体のバランスに改められている。そのおかげか、ナイフは狙い違うことなく一直線に使徒に向かって飛び、その体に──
突き刺さる寸前、朱金の輝き、ATフィールドに阻まれて跳ね返された。
効果は無し。
だが、シンジは慌てなかった。
これは、予定通り。
この行動によって、使徒に、初号機の存在を知らしめ、そして脅威であることを知らせる。敵であることを知らせる。ただ、それだけの目的で──そして、それは達成されたようだ。
使徒は、再び海面に投げ出され、先刻の初号機のように土左衛門みたいに浮かんだ弐号機を無視して、一気に初号機の方へ、OTRの方へ向かってきたのだ。
「予定通り」
使徒の行動は、非道く単純である。
これまでの3度の戦いで、シンジはそう感じていた。最初の第三使徒こそ、長く戦闘状態にあったせいで学習し、それなりの駆け引きのようなモノを見せたが、第4、第5の使徒は単純だった。第4使徒は鞭を最大速度で振り回すだけ。それも、ワンパターンな攻撃ばかりだった。第5使徒は、加粒子砲を無造作に放ってくるだけ。どちらも、フェイントとか、考えたこともないような単純さで。詰まるところ、動きや反応が非常に読み易いのだ。だからこそ、反応の鈍い初号機を操り、シンジは勝利してこれたのだ。
そして、今回の使徒も、その段に倣ったようだ。
思惑通りに、こちらに向かってきた。
「あんまり時間の余裕、無いですね」
しかし、今の一連の行動で、大きく残り時間が減少している。残り、2分を切った。
ユウキは数字と使徒との距離を見て、シンジに告げる。
「シンちゃんは、ATフィールドを中和して、使徒の口を開けることを考えて下さい。とどめは、太平洋艦隊に譲りましょう──提督?」
そして、OTR提督に向けて、通信を繋いだ。
「えらい、むちゃくちゃやな」
トウジが心底呆れたように呟く。出鱈目だ。ケンスケのように、凄い凄い凄すぎる〜と叫んで思考停止するには、あまりにあまり。出鱈目すぎた。
「全くだわ。恐ろしいくらいね。あの力」
輸送ヘリの中、慌ただしく端末を叩きながら、リツコが応じる。
「しかし、本当に凄いですね。初号機と弐号機はまるで別物ッスね。シンジさんが凄すぎるのか、それとも、初号機が凄いのか」
その呟きを耳にしたのか、青葉も口を開いてくる。
「凄いのは、シンジ君ね」
リツコは、端末を叩く手を休めることなく、青葉に答えた。
「初号機と弐号機は、基本的には同じモノ。ならば、パイロットの資質の差ね」
「成る程、さすがはシンジさん、と言う事ッスね」
我が事のように、青葉が顔を綻ばせる。
リツコの言葉通り、初号機と弐号機は基本的に同じモノである。それなのに、これだけの力の差が存在する。つまりは、それだけ、パイロット、シンジとアスカの間に力の差が存在すると言うことである。シンクロ率のことを考えれば、より以上に。
感心するより、恐怖すら感じそうな、リツコである。
「それにしても、EVAの力の限界は、私の考えていたモノより、余程高い場所にあるみたいね」
しかし、その恐怖も一瞬で忘れ去り、リツコは端末を叩く。
目の前には、非常に興味深いモノがある。ならば、それを記録することこそ、リツコの勤めだ。同時に、それは趣味でもある。
「EVAの限界ッスか?」
「ええ」
リツコは頷き、自分の中で考えを纏めるように、口を閉ざした。
EVAの限界は、実のところ、良く分かっていないと言うのが本当。何しろ、訳の分からない敵、使徒に対抗するため、その訳の分からない当の本人である使徒をコピーして作り上げたのが、EVAである。ある程度はわかるように翻訳されているとは言え、大半は訳の分からないまま。何とか、人に扱える。だが、その本質は正体不明な代物なのだ。
だから、そのスペックについても、殆どが推測に過ぎなかった。
人がEVAのサイズになった場合、この程度の力を揮えるだろう。しかし、訳の分からないモノのコピーであるから、少し色を付けて、この程度か?
そう言った、推測の積み重ねに過ぎない。
しかし、シンジはあっさりと、その限界とされる場所を越えてしまっていた。
「もしかしたら、EVAの限界を決めていたのは、私たち、人かも知れない。実は、もっと凄いこともできる可能性を持っているのかも」
「更に、ッスか?」
青葉が、流石にそれはないだろうと、首を振る。
確かに、眼下でシンジがやってのけたことは、あまりにも出鱈目に見えた。これ以上の出鱈目があるとは考えられない。
だが、リツコは可能性として、充分あり得ると推測した。
EVAは、パイロットとのシンクロによって操縦される。つまり、パイロットの思考に左右されるわけである。
そのパイロットが、ここまで出来る。そして、ここからは出来ないと考えれば、即ち、そこがEVAの限界になってきたのではないか?
その点、生身で出鱈目出来るシンジは、厳しい訓練を積んできたとは言え、あくまで普通の人間であるアスカに比べ、EVAに乗ったときに出来る限界も高いと言うことではないのか。
シンクロ率では圧倒しているアスカが、シンジの出来ることが出来ないのは、その辺りに原因があるのではないか?
例えば、アスカは水の上を走れない。水の上を走ることなど出来ないと思っている。だから、弐号機も水の上を走れない。
だが、シンジは水の上を走れる。水の上を走れて当たり前だと思っている。だから、初号機は水の上を走れる。
「これは、非道く興味深いわね」
もしかしたら、シンジですら、EVAの限界には達していないのかも知れない。その力を、限界まで発揮させていないのかも知れない。勿論、EVAにも限界はあるだろう。だが、もしかしたらEVAは、もっと凄いことが出来るのかも知れない。その可能性は、充分にあるのではないか?
リツコは顔を輝かせて、一瞬も見逃すまいとして、初号機の様子を記録していく。
今は恐怖よりも、興味が勝った。
使徒は、一直線に初号機に向かってくる。恐ろしいまでの勢い。海に存在する、生き物、機械、何と比べても、これだけの勢いで突き進めるモノは存在しないのではないか。それほどの、勢い。
だが、それは幸いだった。
何しろ、初号機に残された時間は、少ないのだから。
「提督、初号機が口を開けたら、問答無用で砲撃、お願いします。少々照準が甘くて、初号機に当たっても構いません」
『我々の実力を舐めないで貰いたいな。──だが、了解した。頼むぞ』
ユウキ、提督が打ち合わせを済ませる。
本来は先の弐号機で行う予定であったため、既にある程度は艦船が展開していた。そのため、準備は殆ど終了している。ただ、問題は使徒の索敵が難しいこと。そこに見えているというのに、レーダーその他の大半には、何も存在していないことになっていること。ある程度は、目視に頼らねばならない。電子機器の発達した現在では珍しいほどに。
「当てられるこっちの身にもなって欲しいなあ」
シンジがぼやく。
ユウキはシンクロしているわけではないため、エントリープラグに直接攻撃を受けない限り、痛くも何ともない。しかし、シンジは初号機がダメージを受ければ、同じ箇所が痛いのだ。ただでさえ、左腕を初めとして痛む場所が多いのに、新たにというのはぞっとしない。
「時間の余裕がないんですから、我慢して下さい」
ユウキは、まるで他人事のように告げた。
「他人事みたいに」
「他人事ですから」
しらっと応じ、ユウキは表情を改めた。
「来ますよ」
「わかっている」
二人の言葉に合わせるようにして、使徒がやって来た。
まずは、弐号機の時と同じく、潮吹きで攻撃──幻惑を試みた。
が。
「わかっていて、動揺したりしない!」
シンジは、OTRの甲板から、一歩前に踏み出した。
その分だけ初号機の頭の位置は低くなり、水流はその頭上に虚しく消えた。
初号機は、海の上に立っていた。しかし、殆ど沈まない。
今回は慌ただしく足を踏み代えているわけではない。しかし、初号機は沈まない。
その訳は、かんじき状に足下に展開したATフィールドにあった。JA戦でリツコの口にした方法。それを、早速試みてみたのだ。
そして、潮吹きの後、体当たりをするべく使徒が跳ね上がってくる。
「単純」
予定通り、予測通りの使徒の攻撃に、シンジは呆れたように告げて、鋭く右足を突き出した。
必殺のやくざキック。
右の足の裏が、計ったように使徒の鼻面を迎え撃った。
足の裏と鼻面。両者の激突の軍配は、足の裏に上がった。
使徒の鼻面が陥没し、砕け──皮を破り、肉をひしゃがせ、骨を砕いた。紫色の血潮をぶちまけ、使徒の全長が縮んだようにも見えた。
だが──
「浅い?」
シンジが、鋭く叫ぶ。
使徒の鼻面は粉砕された。与えたダメージも大きいだろう。
だが、足の裏に、あの独特の、コアの硬質な感触を感じなかった。
つまり、使徒はまだ──
壁に体当たりをしてはじき飛ばされたみたいにして宙を舞った使徒の体は、重力に引かれて再び海面に落ち、そのまま没しようとしていた。
「シンちゃん、逃がすと拙いですよ!」
ユウキが指摘するまでもなく、シンジにもわかっていた。
数字を確認するまでもなく、今の一撃で、大きく稼働時間を減らしたことは間違いない。
使徒の損傷は大きい。だから、いくら自己修復出来るとは言え、時間がかかるだろう。お互い、仕切り直し。そうすることも可能なだけの時間は稼げたかも知れない。
──だが、みすみす機能拡大やら自己進化をさせる時間を与えるのは、得策ではない。出来れば、ここでケリを付けておきたい。
だから、シンジは、初号機に海面を走らせた。
あっという間に数字が減っていく。既に一分を割り込み、あっという間に30秒を切った。
しかし、構わず、初号機は使徒に向かって駆ける。
使徒の体は、力無く海中に没しようとしていた。
そこへ、シンジは初号機の腕を突っ込ませた。
使徒の体に、右手が触れる。
ATフィールドで全てを遮っているわけではなく、水とは接し、その抵抗、影響を受けていることを証明するかのように、使徒の肌は鮫肌だった。
それに感慨を抱くよりも早く、シンジは、初号機の指先に力を込めた。
使徒の肌は、鮫肌でざらざらしている。しかし、それだけではつかみ所がない。
つかみ所がないのなら──つかみ所を作ってやればいい。
力を込めた初号機の指先が、使徒の肌を破り、肉に食い込んでいく。
瀕死の状況。力無く海中に没しようとしていた使徒が、激しく暴れ始める。初号機をはねとばし、逃れようと必死で。
しかし、シンジは構わず、一気に使徒の体を片手で引っこ抜いた。
再び、使徒の体が宙に舞う。
それを空中でお手玉し、初号機は右手を半ばひしゃげた使徒の口元に突っ込ませる。更に左手を──と考え、折れていることに思い当たり、代わりに、身を屈めるようにして右足つま先を突っ込む。
そして、全身伸び上がるようにして、強引に使徒の口を開いた。
勢い余りすぎて、使徒の口が避ける。
だが、問題ない。それでも、使徒のコアは露出していたから。
「提督!」
『撃て!』
ユウキの声に、満を持して待ち受けていた提督の叫びと、太平洋艦隊の砲撃が答えた。
提督が自慢に思っていた、太平洋艦隊の練度の高さ。それは、身内贔屓では無かった。
吸い込まれるように、砲撃の殆どは、初号機によって乱暴に開かれた使徒の口の中をめざし、その内の幾つかはコアに命中して、それを砕いた。
第6使徒、殲滅。
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