戦時下の証言

  瀬戸
水野地区     
   飯場を経営
   丸セ工場
第4区
当時15歳
水野小学校
高射砲陣地
朝鮮人労働者
旋盤を運び込む
飛行機の部品を作った
多治見から歩いて
水南小学校が本部
かぼちゃのぜんざい
敗戦の日に
往復ビンタ
女学校の医務室で手術
女学校も学徒動員
夫か床屋
朝鮮人労働者
病気するやつは非国民
鉱山技師の指摘どおり崩れる
ドラム缶にカ性ソーダ
菱野地区
本部は東野牧場
俵にはさまった米
部品もそろわず
町工場で部品
胴体にベニヤ板
日本刀をもって
しずくで掃除ばかり
夫は馬車引き
新潟から学徒動員
母屋が宿舎に
青池の下の工場
学徒が建設
松の木でカモフラージュ
陶磁器工場や学校も
小学生も陶貨を
女教師も宿直
本土決戦隊に動員
陶原小学校
軍隊が学校を使う
学校も軍需工場に
陶貨づくり
企業統制
海綿鉄づくり
空襲その他
当直日誌
新開地の空襲
田端町
坂上町
南菱野町
次の爆撃目標
愛知航空機
「愛知航空機」動員学徒の手記より
1〜9


思い出すままに
名古屋ー瀬戸動員中の思い出
朝は再びここにあり
ああ、愛知時計!
動員の日々を振り返って
暗黒の日々
名古屋動員
名古屋での学徒動員
そして、今
部品の所在をつかもう
特殊攻撃機晴嵐
学徒動員で瀬戸へ
日本本土初空襲を体験して
    
大八車の死体が
ズルッと

水野のトンネルで 脚を作ろうと

その他の証言
甲板で九死に一生
特攻が飛び立つ直前
特攻機に爆弾
南京政府の事務員募集
勤労動員